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Column

『暮らしのなかの民主主義 #1』を終えて

先日、地元の市議会議員さんと開催する初めてのイベント『暮らしのなかの民主主義 #1』を行いました。(会の詳細についてはこちら
参加して頂いた皆さま、気にかけて頂いた方々どうもありがとうございます。
初回なので、参加者の様子や会の進行など探り探りの部分も多く、少し分かりにくかったかなと少し反省しています。また、もう少し若い参加者が増えたら嬉しいのですが、それはこれからの課題です。以下、今回の会を終えて思ったことを備忘録として書いておきたいと思います。

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会の参加者は20人程。竹永先生の支持者の方が多かったように思う。会の内容は、前半に竹永先生に、簡単なうきは市議会の仕組みや仕事の内容を紹介して頂き、後半は実際に竹永先生が取り組んでいる活動の内容やその成果、そして活動を通して疑問に感じていることなどの紹介を行った。
僕は司会進行として、話の途中にいくつか質問をさせて頂きながら進めていくという内容。
話を進めていく中で、「うきは市は専決処分が多い」、「議員さんが持っている権利をうまく使えていない」、「議員さん間で議論を深める事が少ない」など、現在のうきは市議会が抱えている議会の形骸化や慣例主義といった問題が浮き彫りになってくるのを感じた。
これは議会の問題に限ったことではなく、市民側の議会への関心が少ないという問題とも言い換えることができる。原因の一つとして、市民の関心のなさが議会に現れていて、それが結果としてうきは市の行政全体に表面化して様々な問題が生じている。
先後の復興から高度経済成長期のような、大多数の人たちが同じ豊かさ・価値観に向かって進んでいく時代だったらまだその状態で機能していたかもしれないが、現在の豊かさも価値観も多様になった時代に、旧態依然の議会・地方の民主主義のあり方が対応できていないのではと感じる。

そもそも、今回の、竹永先生の話と質疑を通して、「地方には西洋型の民主主義が根付いていないという事が前提にあるのでは?」という疑問を強く思った。

詳しい事実はわからないが(これから勉強したい)、明治以降次々と市町村の合併を繰り返す中で、当初は、生葉郡(現在のうきは市の大部分)の中に50程度の村があり、その中で個々に存在していた自治能力が、資本主義による合理化・効率化の推進により解体されて失っていったのではないかと推測される。生葉郡の村の中にどの程度の自治能力があったかは定かではないが、今より遥かに優れていたことは間違いない。

様々な文脈で、昔のエネルギーを使わない暮らし方や自然との付き合い方を見直す動きが進んでいるが、これは行政についても言える話だと思う。この土地で暮らす人々が本来持っていた自治能力の何が失われて、何が残っているのか?それらを現状の問題点と照らし合わせて、歴史に学びながらうきは市としての新しい形の地方自治のあり方を模索していくことがこれから求められていくはずた。
それは、土地の文化や風土に根付いた、その土地ならではの自治のあり方。そのヒントは、歴史の中や、今も里山で暮らす人々の中に受け継がれているのではないかと思っている。

少し話が大きくなったが、次回はこのあたりのことも意識しながら、現在うきは市で進んでいる具体的な政策の中身やその問題点などを議論していきたい。
うきは市の現状を認識して問題点を共有する。まずは知ることから。
この会もこれからの地方自治の形を考える為の、小さな活動になればと思っている。

少しでも興味を持たれた方!
ご参加お待ちしています。

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