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Column

「懐かしい未来」を読んでこの町のことを考えてみた(後編)

前編では、「懐かしい未来 ラダックから学ぶ」という本のざっくりとした紹介をさせて頂いた。
後編では、この本を読みながら、自分自身のこれまでの体験、そして今感じていることを項目ごとに照らし合わせながら思索を深めていった過程を書いてみようと思う。あくまでも、ここで述べる考えは、限定された場所や地域によっては当てはまるすこし偏った考えだと言うことを予め注意しておきたい。
(それと少し愚痴っぽくなっていることも付け加えておきたい・・・)

『地元に対する愛着の欠如』
本書の中で、西洋の文明が入ってくることにより、その刺激の強さから地元の若者は地域への感心や愛着を失い、徐々に西洋の生活様式を模していくと著者は言う。
これは、田舎で育ち、テレビや雑誌などのメディアを通じて伝えられる物で溢れた都会や高層ビル、そこではしがらみから放たれて自由に生きていけるかのような情報にあこがれた僕自身の子供時代と殆ど似通っていると感じた。少し雑な表現ではあるが、都市からコマーシャルを流し続けることで憧れを抱かせ、都会へ向かわせることで労働者として搾取する構造が作られていて、なんの疑いも無しにそれがまるで自分の意思かのように進路を選びとっていくという社会的な構造だ。
結果として、その構造が若者の地元への愛着を失わせ、土地土地の固有の文化を途切れさせ失わせる原因の一つになってしまう。
これらのことは、本書を読まずとも色んな方が指摘している内容だと思うが、実際にその変化を感じた著者の言葉で伝えられると、同じ事実が全く違って理解できるから面白いし、すこし怖くもなる。

『消費される観光・豊かさとは』
僕自身、現在の”観光”という言葉が意味するところや、観光によってもたらされる利益とその効果にはとても懐疑的なのだが、本書を読み、ラダックという場所が”観光”で消費されることによって変化を遂げていく過程と現在のこの町を重ね合わせることで具体的な問題点が浮かび上がってきたように思う。

その一つに、現在の観光が消費を前提として成り立っているという点がある。ラダックでは西洋の価値観や文化が流入することによって、それらに魅了され手に入れたいという思いから自らの労働力や地域の価値を切り売りするような形で観光資源を生み出し外貨を獲得しようとする。
地域の魅力を外に発信することで注目されたり実際に訪れてもらったりする観光では、基本的にモノ消費やコト消費といった消費を前提として外貨を稼ぐというミッションが組み込まれている訳だが、消費を前提とした観光では、外貨と引き換えに地域はどんどん疲弊していくばかりだ。そこでいくら外貨を稼いだとしても、そもそも欲しかったのはお金だろうか?そのお金で買える豊かさを求めていたのだろうか?外貨と引き換えに地域の資源や労働力を消費され疲弊していく。やりたかった事ってそもそもそういうことだったのだろうか?現状への問いを立て続ける事で、捻れすぎた今の実態があらわになってくる。

『ではどうすればいいのか?』
そもそも、現在の観光に関する施策のほとんどが、どう消費に結びつけるかを前提としているので、まずはそこから一つ一つ丁寧に考えていきたい。消費されない観光とは何なのか?を軸に。多分それを実現するのにはとても時間がかかるだろうし、本来、場所や地域によって方法論は多様であるべきなので何らかのフォーマットに沿って出来ることでもない。その土地の空気や水、土、緑を感じながらそこでとれた作物で体を作っていく人たちがそれぞれの考えを交錯させた先になんらかの光があって、それを観に行く観光が生まれるんじゃないかと思う。

とても抽象的な表現で申し訳ないが、現在の経済成長を前提とした資本主義というシステムの枠を超えて何かに取組もうとしたら、それは多くの人にとって手探りでよく分からないことかもしれないが、そのよく分からないところで対話を重ねて持続可能なこれからの観光のあり方を考えることがとても重要だと思う。
産業としての観光から本来の観光へシフトするタイミングが来ている。

今までの慣習に流されずに、そもそもそのやり方ってどうなんだろう?それはいつから?なぜそうなっているんだろう?観光ってほんとうに必要?
という根源的な問いを様々な施策に対して立て続けていくこと。物質的な豊かさから精神的な豊かさに価値観が大きくシフトしてきている今の時代にこそ取り組むべき課題だと感じた。

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